静岡地方裁判所沼津支部 昭和63年(ワ)20号 判決 1995年9月06日
主文
一 被告甲野太郎(以下「被告甲野」という。)は、原告日本国有鉄道清算事業団(以下「原告事業団」という。)に対し、別紙物件目録(一)記載の土地につき、登記原因を昭和二〇年二月贈与、所有者を運輸通信省とする所有権移転登記手続をせよ。
二 被告乙山春子(以下「被告春子」という。)、同丙川松子(以下「被告丙川」という。)、同乙山夏夫(以下「被告夏夫」という。)、同丁原竹子(以下「被告丁原」という。)、同乙山秋夫(以下「被告秋夫」という。)、同乙山冬夫(以下「被告冬夫」という。)及び同戊田梅子(以下「被告戊田」という。)は、原告事業団に対し、別紙物件目録(二)ないし(四)記載の各土地につき、登記原因を昭和二〇年二月贈与、所有者を運輸通信省とする各所有権移転登記手続をせよ。
三 被告夏夫は、原告東海旅客鉄道株式会社(以下「原告会社」という。)に対し、別紙物件目録(五)、(六)記載の各土地につき、登記原因を昭和二〇年二月贈与、所有者を運輸通信省とする各所有権移転登記手続をせよ。
四 原告会社と被告甲野、同甲原桜子(以下「被告甲原」という。)及び同チェリー・菊子(以下「被告菊子」という。)との間で、原告会社が別紙物件目録(一)記載の土地の所有権を有することを確認する。
五 原告会社と被告春子、同丙川、同夏夫、同丁原、同秋夫、同冬夫、同戊田、同甲原及び同菊子との間で、原告会社が別紙物件目録(二)ないし(四)記載の各土地の所有権を有することを確認する。
六 被告甲原及び同菊子は、原告会社に対し、
1 別紙物件目録(一)記載の土地につき、静岡地方法務局御殿場出張所昭和六一年三月七日受付第二二一六号をもってなされた
2 同目録(二)記載の土地につき、同出張所同日受付第二二一五号をもってなされた
3 同目録(三)記載の土地につき、同出張所同月一三日受付第二四六一号をもってなされた
4 同目録(四)記載の土地につき、同出張所同月七日受付第二二一五号をもってなされた
各条件付所有権移転仮登記の抹消登記手続をせよ。
七 原告事業団の第一次的請求、及び原告会社の被告夏夫に対する所有権移転登記手続請求に関する第一次的請求はいずれも棄却する。
八 訴訟費用は(補助参加によって生じた費用を含む。)は被告らの負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 当事者の求めた裁判
(原告事業団)
一 第一次的請求
1 被告甲野は、原告事業団に対し、別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地(一)」という。)につき、、登記原因を昭和一九年二月二五日贈与、所有者を運輸通信省とする所有権移転登記手続をせよ。
2 被告春子、同丙川、同夏夫、同丁原、同秋夫、同冬夫及び同戊田は、原告事業団に対し、別紙物件目録(二)ないし(四)記載の各土地(以下「本件土地(二)」という。)につき、登記原因を昭和一九年二月二五日贈与、所有者を運輸通信省とする各所有権移転登記手続をせよ。
二 第二次的請求
主文第一項、第二項のとおり
三 第三次的請求
1 主位的請求
(一) 被告甲野は、原告事業団に対し、本件土地(一)につき、昭和一九年八月一日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
(二) 被告春子、同丙川、同夏夫、同丁原、同秋夫、同冬夫及び同戊田は、原告事業団に対し、本件土地(二)につき、昭和一九年八月一日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
2 予備的請求
(一) 被告甲野は、原告事業団に対して、本件土地(一)につき、昭和二〇年二月の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
(二) 被告春子、同丙川、同夏夫、同丁原、同秋夫、同冬夫及び同戊田は、原告事業団に対して、本件土地(二)につき、昭和二〇年二月の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
(原告会社)
一 第一次的請求
1 被告夏夫は、原告会社に対し、別紙物件目録(五)、(六)記載の各土地(以下「本件土地(三)」という。)につき、登記原因を昭和一九年二月二五贈与、所有者を運輸通信省とする所有権移転登記手続をせよ。
2 主文第四ないし六項のとおり。
二 右一1の請求に対する第二次的請求主文第三項のとおり
第二 事案の概要
本件は、本件土地(一)を所有していた亡甲野松太郎(以下「松太郎」という。)、本件土地(二)及び(三)を所有していた亡乙山春夫(以下「春夫」という。)が、これらの土地を昭和一九年二月二五日、あるいは昭和二〇年二月、運輸通信省に贈与したとして、その後運輸省を経由して右各土地を承継取得した日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)と同一法人格を有する原告事業団が本件土地(一)、(二)について、松太郎及び春夫の各相続人に対して、債権者代位権に基づき、所有権移転登記手続を求め(第一次、第二次的請求)、また、昭和一九年八月一日、もしくは昭和二〇年二月の時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求め(第三次的請求)(以上第一事件)、国鉄から本件土地(一)ないし(三)の所有権を承継した原告会社が、本件土地(一)、(二)について、被告甲野ないし春夫から条件付所有権移転仮登記を受けた亡甲原一郎(以下「一郎」という。)の相続人に対して、被告甲野ないし春夫と一郎との売買契約は存在せず、あるいは通謀虚偽表示により無効であり、あるいは一郎は背信的悪意者であるとして、右仮登記の抹消登記手続を求め、春夫及び一郎の各相続人並びに被告甲野との間で、本件土地(一)、(二)の所有権の確認を求める(以上第二事件)とともに、本件土地(三)につき、債権者代位権に基づき、春夫の相続人の一人で同土地の登記名義人である被告夏夫に対し、前記昭和一九年二月二五日ないし昭和二〇年二月の贈与を原因とする所有権移転登記手続を求めた(第三事件)ものである。
一 争いのない事実及び証拠上明らかな事実(以下、成立に争いがないか、弁論の全趣旨から成立が認められる書証については、その旨記載することを省略する。)
1 本件土地(一)は、もと松太郎の所有、本件土地(二)及び(三)の各土地は、もと春夫の所有であった(争いのない事実)。
2 静岡県駿東郡富士岡村は、昭和三〇年二月一一日合併により御殿場市となった(争いのない事実)。
3 従前、鉄道関係の事業については、大正九年五月一五日以降は鉄道省、昭和一八年一一月一日以降は運輸通信省、昭和二〇年五月一八日以降は運輸省、昭和二四年六月一日以降は国鉄が所管しており、その所有の不動産はそれぞれ承継された(争いのない事実)。
4 昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法に基づき、国鉄は、同日をもっていわゆる分割民営化されることになり、その法人格の同一性を保持したまま、原告事業団(日本国有鉄道清算事業団)と名称変更され、国鉄が従来営業していた旅客鉄道事業、新幹線事業、貨物鉄道事業等はそれぞれ、原告会社(東海旅客鉄道株式会社)ほか五社の株式会社に承継され、それぞれ右各事業の運営に必要な資産等を承継した(争いのない事実)。
昭和六二年三月一三日付運輸大臣の認可に基づき、「富士岡駅において駅区等用地として整理されている一切の土地」については、原告会社が国鉄から承継することになった。
5 昭和六〇年三月一三日、松太郎が死亡し、被告甲野が同人を相続し、本件土地(一)の所有名義人となった(争いのない事実)。
6 本件土地(一)につき、被告甲野と一郎との間での昭和六一年一月三一日付売買契約(以下「本件売買契約(一)」という。)を原因として、静岡地方法務局御殿場出張所昭和六一年三月七日受付第二二一六号をもって条件付所有権移転仮登記がされ、本件土地(二)のうち別紙物件目録(二)、(四)の土地につき、春夫と一郎との間での同年一月三一日付売買契約(以下「本件売買契約(二)」という。)を原因として、同出張所同年三月七日受付第二二一五号をもって条件付所有権移転仮登記がされ、本件土地(三)のうち別紙物件目録(三)の土地につき、同人らとの間での同年一月三一日付売買契約(以下「本件売買契約(三)」という。)を原因として、同出張所同年三月一三日受付第二四六一号をもって条件付所有権移転仮登記がされ、現在も右各仮登記が存在する(以下「本件仮登記」という。)(争いのない事実)。
7 春夫は、平成五年二月二六日死亡し、妻である被告春子、それぞれ子である同丙川、同夏夫、同丁原、同秋夫、同冬夫及び同戊田が春夫を相続した(争いのない事実)。
8 一郎は、平成五年五月三一日死亡し、妻である被告甲原、子である同菊子が一郎を相続した(争いのない事実)。
9 本件土地(三)の所有名義人は、被告夏夫である(争いのない事実)。
二 争点
1 争点<1>(訴訟物の特定性(第一事件、第二事件))
(一) 被告らの主張
本件土地(一)、(二)の周囲には、鉄道敷地としては無番地の土地があったり、登記簿上は存在するが、公図上には存在しない土地があったり、登記簿上同一地番の土地が存在するため、第一事件、第二事件において原告らが取得し、占有してきたとする土地が、公図上及び現況上どこに存在するか特定されていない。
(二)原告らの主張
公図は、不動産登記法一七条所定の地図が整備されるまでの間の暫定的かつ便宜的な取扱がなされるべきで、公図に法的根拠を認めることはできず、登記簿に基づく土地の特定で十分である。
2 争点<2>(本件土地(一)ないし(三)の贈与契約の存在(第一ないし第三事件の請求原因))
(一) 原告らの主張
(1) 第一次的主張
静岡県駿東郡富士岡村において、昭和一七年ころ、同村住人らの間に、御殿場線富士岡駅設置の要望が高まり、富士岡村は、当時の鉄道省東京鉄道局に対し、要望を行った結果、駅舎等の用地となる土地の所有者が、当該用地を国へ献納することになり、昭和一九年二月二五日ころ、本件土地(一)につき松太郎が、本件土地(二)及び(三)について春夫がそれぞれ、当時鉄道関係の事業を扱っていた運輸通信省に対し、寄付により所有権を移転する旨を約した。
(2) 第二次的主張
仮に右寄付が認められないとしても、昭和二〇年二月の富士岡信号場乗降場延伸其他其二工事の際に、本件土地(一)につき松太郎が、本件土地(二)及び(三)について春夫がそれぞれ、当時鉄道関係の事業を扱っていた運輸通信省に対し、寄付により所有権を移転する旨を約した。
(二) 被告らの主張
松太郎には本件土地(一)について、春夫には本件土地(二)及び(三)について、運輸通信省に寄付する意思はなく、運輸通信省も直接寄付を受けたという認識を有していなかったことから、原告ら主張の寄付行為はいずれも存在しない。富士岡村は駅設置につき土地所有権者から直接土地の譲渡を受け、これを国に寄付する考えであったが、実現できなかった。
3 争点<3>(時効取得の成否(第一事件、第二事件の予備的請求原因))
(一) 原告らの主張
(1) 運輸通信省は、昭和一九年八月一日本件土地(一)及び(二)の占有を開始し、その際、占有開始に当たり、無過失であった。
その後、本件土地(一)及び(二)の占有は、運輸通信省から、運輸省、国鉄と承継され、昭和二九年八月一日において、国鉄が占有していた。
よって、原告らが本件土地(一)及び(二)を昭和一九年八月一日、時効取得したものである。
(2) 仮に占有開始が昭和一九年八月一日でなかったとしても、運輸通信省は、昭和二〇年二月本件土地(一)及び(二)の占有を開始し、その際、占有開始に当たり、無過失であった。
その後、本件土地(一)及び(二)の占有は、運輸通信省から、運輸省、国鉄と承継され、昭和三〇年二月時点において、国鉄が占有していた。
よって、原告らが本件土地(一)及び(二)を昭和二〇年二月、時効取得したものである。
(二)被告らの主張
松太郎及び春夫は、昭和一九年あるいは昭和二〇年ころ、運輸通信省との間で、期限を定めずして、本件土地(一)及び(二)を使用貸借させる旨の契約を締結したものであり、運輸通信省は、他主占有により占有を開始したものである。
4 争点<4>(本件売買契約(一)ないし(三)の存在(第二事件の抗弁))
(一) 被告甲原及び同菊子の主張
被告甲野は、一郎に対して、本件土地(一)につき、昭和六一年一月三一日、代金一六九四万円で売却し、春夫は、一郎に対して、本件土地(二)のうち別紙物件目録(二)、(四)記載の土地につき、同日、代金三二三六万六〇〇〇円で売却し、本件土地(二)のうち同目録(三)記載の土地につき、同日、代金一一三七万四〇〇〇円で売却したものである。
したがって、原告会社は、本件土地(一)及び(二)の各登記を具備しない限り、被告甲原及び同菊子に対し、その所有権取得を対抗できない。
(二) 原告会社の主張
本件仮登記は仮装したものであり、本件売買契約は存在しない。
5 争点<5>(本件売買契約(一)ないし(三)の無効(第二事件の再抗弁))
(一) 原告会社の主張
本件売買契約(一)ないし(三)は、当事者間に所有権移転の意図がないのにもかかわらず、本件土地(一)及び(二)が登記未了で名義残りとなっていることを利用して国鉄から不当な利益を得ようと通謀して、虚偽の売買契約を締結したものであり、これらはいずれも無効である。
(二) 被告甲原及び同菊子の主張
被告甲野、春夫は一郎に対して真実所有権を移転する意思を有していたものである。
6 争点<6>(背信的悪意(第二事件の再抗弁))
(一)原告会社の主張
一郎は、本件土地(一)及び(二)の各土地が、国鉄所有であることを知っていたのみならず、右登記未了であることを奇貨として、国鉄から不当な利益を得ようと企図し、本件売買契約(一)ないし(三)を締結し、本件仮登記を経由したものであり、一郎は背信的悪意者である。
(二)被告甲原及び同菊子の主張
一郎は悪意ですらない。
第三 争点に対する判断
一 争点<1>(訴訟物の特定)について
第一及び第二事件における訴訟物は土地の登記請求ないし所有権確認請求であるところ、土地は登記簿の表題部の記載によりこれに対応した客観的、一義的な現実の土地が存在するのであるから、登記簿の右記載により特定するものというべきである。被告らが主張する他の土地の状況は本件土地(一)及び(二)の特定性に影響を及ぼすことはなく、本件においては土地の特定、したがってまた、訴訟物の特定に欠けるということはない。なお、被告らは、松太郎、春夫が本件土地(一)及び(二)が富士岡駅舎敷地ないし同駅前広場内に存在することを前提として、運輸通信省に対して使用貸借させた旨主張したり、本件土地(一)及び(二)を一郎に対して売却したと主張したりしており、その所在位置についても原告らの認識と異なるところはない。
二 争点<2>及び<3>(本件土地(一)ないし(三)の贈与契約の存在もしくは時効取得の成否(第一ないし第三事件の請求原因))について
1 証拠等によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 本件土地(二)及び(三)の元所有者であった春夫は、大正一三年六月から昭和三七年三月まで、国鉄(その前身の鉄道省、運輸通信省等)の職員であり、本件土地(一)の元所有者であった松太郎も約三八年間国鉄等の職員であり、その子被告甲野も昭和六二年まで二四年間国鉄の職員であった。
(二) 昭和一七年当時、御殿場線富士岡駅は存在してはおらず、明治四四年五月一日から開設されていた信号場があったのみであり、右信号場を富士岡駅に昇格させることを、多くの富士岡村民が望み、東京鉄道局長あてに、請願書を提出し、その後、昭和一八年、地元村民は、駅設置のために所有地が必要となった場合、適正な価格で譲渡する旨の承諾書を作成し、その中に、春夫、松太郎も名を連ねていた。その結果、同年、翌一九年に、東京鉄道局の職員が駅設置の調査のため、再三富士岡村を訪れ、昭和一九年三月、軍用駅としての富士岡駅の設置が決定し、同年八月一日富士岡駅が開設された。しかし、右駅は軍用駅であったため、地元村民は同年八月二一日頃から「一般乗客降昇扱」とするよう鉄道当局に陳情した。その結果、富士岡駅は一般乗降用の駅として使用されることとなり、昭和二〇年一月頃から、そのための駅拡張工事がなされ、同年二月頃右工事が完了した。
(三) 春夫は、富士岡駅設置決定前の昭和一八年頃、地元の村会議員等から本件土地(二)に駅を造らせて欲しい旨の要請を受けていた。そのうち軍用駅建設工事及びその後地元の要求により決定した一般乗降用の駅としての拡張工事が始まり、右拡張工事にあたっては当時農地であった本件土地(一)及び(二)に石炭殻が敷き詰められたが、右作業には春夫も仕事を休んで参加した。春夫は、当初本件土地(二)の代替地を要求したが、同人は当時運輸通信省に勤務し鉄道事業に従事していたうえ、当時は戦時中のことでもあり、右要求は通らなかった。そして、昭和二〇年二月頃、一般乗降用としての富士岡駅が完成したが、春夫は、右駅完成後は本件土地(二)につき特段の要求をすることはなかった。
(四) 一方、本件土地(三)の分筆前の富士岡村《番地略》の土地及び同所同番三の土地については、「何時貴省工事施工相成候共異議無之候」と記載した「鉄道局」宛の春夫作成の同年二月二五日付「承諾書」が存在する(春夫名下の印影が同人の印章によることにつき争いがないので、成立が推認される丙第四号証)。
また、富士岡村長は、昭和二〇年二月、運輸通信省の東京鉄道局長に、松太郎及び春夫所有の本件土地(一)ないし(三)等の土地を「御省停車場敷地トシテ無償譲渡致度候ニ付採納相成度比段及御願候也」とする「土地寄付採納願」を提出した。これを受けた同鉄道局は、同月二六日、右採納を受ける旨の決定をした。
(五) 春夫は、昭和一六年当時、富士岡村に対し、学校用地のため、同人所有の土地五筆を代金一五六六円五〇銭で売却したことがあった。その後、春夫は、昭和二二年一〇月二八日、富士岡村農地委員会長宛に、自作農創設特別措置法による春夫への売渡が実現するように要請した陳情書を作成したが、その際、同陳情書において、学校用地については、「買収交渉ヲ受ケ」、「売却スル事トシマシタ」と記載しているのに対し、本件土地(二)及び(三)については、「買収交渉ヲ受ケ」、「富士岡村発展ノ為メ該土地ヲ提供シ」と「売却」とは異なる態様の譲渡であることを窺わせる表現をしており、少なくとも、右陳情書作成当時においては、本件土地(二)及び(三)につき、春夫自身、単なる使用貸借ではなく、運輸通信省に対し、所有権移転を前提とした法律行為をしたことを認めていた。
(六) 昭和二四年三月二一日、富士岡村より、本件土地(一)ないし(三)の潰地補償料として、松太郎に対して、一〇〇〇円、春夫に対して、六〇〇〇円が支払われた。右金額は、驚異的インフレという経済事情を考慮して決定されたものである(この点について、春夫は、富士岡村に売却した学校用土地代金として受領したことはあるものの、右六〇〇〇円を受け取ったことはない旨供述するが、潰地補償料は学校用土地代金とは異なり、戦後の経済事情も考慮して決められたものであり、金額もかなり異なるものであって、両者が混同されることは通常あり得ない。したがって、右供述は直ちに採用しがたい。)。
(七) 昭和二四年八月、富士岡村は、当時既に鉄道用地となっていた本件土地(一)を富士岡村《番地略》の土地から、本件(二)のうち別紙物件目録(二)の土地を同所五二八番一の土地から、本件土地(三)のうち同目録(五)の土地を富士岡村《番地略》の土地から、本件土地(三)のうち同目録(六)の土地を同所五六二番一の土地からそれぞれ分筆する旨の分筆申告書を春夫及び松太郎に代わって沼津税務署宛提出し、土地台帳上右のとおりの分筆手続がなされた。なお、本件土地(二)のうち別紙物件目録(三)及び(四)の土地もまた鉄道用地となっていたが、同土地については分筆の必要がなかったので、右分筆申告書には同土地に関する記載はない(ただし、春夫及び松太郎作成部分を除く。)。
(八) 本件土地(一)の分筆前の元富士岡村《番地略》の土地は、松太郎が家督相続により取得したものであるが、松太郎は、昭和二八年一月九日、右土地を本件土地(一)外の土地に分筆登記した。ところで、松太郎は、昭和六〇年三月に死亡するまで、本件土地(一)を残してその外の土地はいずれも他に所有権を譲渡した。
(九) 春夫は、昭和三八年七月一二日、御殿場市《番地略》の土地から本件土地(二)のうち別紙物件目録(二)の土地を分筆登記し、残りの土地のみを乙川次郎に売却した。
(一〇) 一方、国鉄の沼津保線区長は、昭和三九年一二月二四日、「御殿場線駅新設に伴う寄付用地について」と題する報告書を上司宛に提出しているが、その添付書面としての「富士岡駅構内未登記箇所之図・駅表駅裏(寄付)用地」と題する図面には、その形状からみて本件土地(一)ないし(三)と考えられる土地が右寄付用地として表示されている。
(一一) 本件土地(一)ないし(三)については、運輸通信省、運輸省、国鉄、原告会社が順次、昭和一九年から現在に至るまで、富士岡駅敷地もしくは駅前の広場として、維持管理してきた。これに対して、春夫及び松太郎は、昭和六一年までの四〇有余年にわたり、右土地の運輸通信省等による使用占有につき異議を述べたことはなく、また右土地につき運輸通信省等に所有権はなく、単に同人らが使用貸借しているに過ぎない旨述べたこともなかった。
(一二) また、被告甲野は、本件土地(一)を松太郎の相続財産から外すことを考えていたことがあった。また、春夫は、本件土地(二)及び(三)について、自らが国鉄等の職員であった時、管理にあたっていた。
2 右認定の事実によれば、昭和一九年当時、富士岡村の地元住民の間で富士岡駅開設の運動が高まり、当初は右駅開設に必要な土地の所有者らは、公正な価格での売却を望んでいたが、戦時中のことでもあり、かつ、松太郎、春夫は国鉄職員であったことなどから、松太郎及び春夫は、一般乗降用の駅として富士岡駅が完成した昭和二〇年二月、本件土地(一)ないし(三)を運輸通信省にそれぞれ寄付、すなわち贈与したことが認められる。
もっとも、本件土地(一)ないし(三)を含む土地を富士岡駅敷地として無償譲渡したい旨の採納願は富士岡村からなされており、また、松太郎及び春夫に対する潰地補償料はこれを富士岡村が支出していることは前記認定のとおりであるから、本件土地(一)ないし(三)については、富士岡村が、松太郎及び春夫から一旦取得し、これを運輸通信省に寄付したとみることができないわけではない。しかしながら、富士岡村の採納願の対象土地はあくまでも松太郎及び春夫等個人所有の土地としてなされていることが《証拠略》から窺えるところであり、一方富士岡村がこれらの土地の所有権を取得したとの的確な証拠はなく、したがって、富士岡村は松太郎及び春夫等駅敷地に必要な土地所有者と運輸通信省との間で仲介的立場に立っていたと認められる。また、潰地補償料についても、富士岡村がその補償をしたとみることは十分可能であるから、右補償料の支出も松太郎及び春夫が同人ら所有の土地を直接運輸通信省に寄付したと認めることの妨げとはならない。
被告らは、本件土地(一)ないし(三)については、松太郎、春夫及び被告らが租税を支払ってきた、あるいは、登記が長年なされていなかったものであり、これらの事実は、本件土地(一)ないし(三)が運輸通信省等に譲渡されなかったことを示すものと主張し、右事実は、《証拠略》から認められる。しかし、租税については、統一的処理のため、登記名義人に賦課されるものであり、右事実から直ちに、本件土地(一)ないし(三)について譲渡がされていないということはできない。また、前記寄付行為は戦時中に行われたものであることからすると、登記名義が長年移転されなかったことをもって、直ちに右譲渡を否定する根拠になるということもできない。さらに、国鉄の用地図において、本件土地(一)及び(三)が、その管理外とされているものがあるが、現実の管理は、杭が打たれ、見回る等、本件土地(一)ないし(三)についてなされているものであることが《証拠略》からみとめられるから、用地図の一部に右のような表示がされているからといって、直ちに本件土地(一)及び(三)についての寄付行為を否定することもできない。
3 以上の次第で、争点<2>における原告らの第一次的主張はこれを認めることができないが、第二次的主張は理由がある(したがって、争点<3>については判断するまでもない。)。
三 争点<4>及び<5>(本件売買契約(一)ないし(三)の存在及びその無効(第二事件の抗弁及び再抗弁))について
《証拠略》によれば、被告甲野は、一郎に対して、本件土地(一)につき、昭和六一年一月三一日、代金一六九四万円で売却する旨の契約を、春夫、一郎に対して、本件土地(二)のうち別紙物件目録(二)、(四)記載の土地につき、同日、代金三二三六万六〇〇〇円で売却する旨の契約を、本件土地(二)のうち同目録(三)記載の土地につき、同日、代金一一三七万四〇〇〇円で売却する旨の契約をそれぞれ締結し、各代金額の二割に当たる手付金を支払ったことが認められる。右事実によれば、本件売買契約(一)ないし(三)の成立を認めることができ、右各売買契約が通謀虚偽表示によるものということはできない。
四 争点<6>(背信的悪意(第二事件の再抗弁))について
1 証拠によれば以下の事実が認められる。
(一) 一郎は、不動産の売買や仲介等を目的とする株式会社甲田の経営者であり、土地売買について、知識及び経験を有していた。
(二) 本件土地(一)及び(二)は、現に富士岡駅の敷地及び駅前広場(広場の中心部分を占める。)となっており、国鉄が使用占有するものであることはその外観上明らかであった。右土地の現状については売買契約書上も明記されていた。
(三) 本件売買契約(一)ないし(三)の売買代金は、坪単価二〇万円であり、合計六〇〇〇万円という高額なものである。しかし、一郎は、現地には二回ほど行ったが、現地調査は土地家屋調査士に任せきりで、自ら確認したことはなかった。しかも、一郎は、土地家屋調査士から、公図と現場を照合して不明瞭なところがあるとの報告を受けていたうえ、売買契約においては、坪単価を基準として代金を決定する方式を採っていたので、本来であれば、面積測量が必要であるにもかかわらず、図面を照合したのみで、本件土地(一)及び(二)の境界も確認せず、実測もしなかった。のみならず、一郎は、坪単価についても自ら調査することもなく、売主側のいい値をそのまま承諾した。一郎はまた、本件土地(一)及び(二)に対する国鉄の占有権限を国鉄に問い合わせるなどして独自に調査することもしなかった。
(四) 被告甲野は、本件土地(一)の税金や権利関係の問題について、一郎と売買契約を締結する以前に、御殿場市や国鉄側と交渉をしたが、国鉄との交渉では、右土地につき所有権を主張され、交渉は平行線をたどり、解決の見通しがつかなかった。そこで被告甲野は、国鉄との問題を解決してもらうため、本件土地(一)を一郎に売却することとした。その際被告甲野は、一郎に本件土地(一)は問題のある土地である旨を述べるとともに、市や国鉄との交渉の経緯についても話をした。
(五) 春夫は、被告甲野から、本件土地(一)を一郎に売ることになったとして一郎を紹介され、後日国鉄との間で問題が生ずるおそれがあるとの不安があったものの、一郎であれば、国鉄との問題の解決が可能であると考え、被告甲野が、本件土地(一)を売却するのにあわせ、本件売買契約(二)、(三)を締結した。
(六) 一郎は、売買契約締結直後の昭和六一年二月一日、春夫及び被告甲野とともに、「乙川会」の肩書を有する丙野五郎に、本件土地(一)及び(二)についての国鉄との交渉を委任し、同人は、国鉄施設局を訪れて、本件土地(一)及び(二)と東京都内の一等地とを交換すべく強く要求した。
(七) 一郎は、約六〇〇〇万円の売買代金の契約をし、約一二〇〇万円の手付金を支払ったのにもかかわらず、その購入目的に本件土地(一)及び(二)の使用等の具体的計画があるわけでもなかった。むしろ、一郎は、本件土地(一)及び(二)を取得価格を超える代金で国鉄に買い取ってもらうことを希望していた。
2 右認定の事実、とりわけ本件土地(一)及び(二)の現況及びその使用占有状況、一郎は、同土地につき、国鉄が所有権を主張していることを知りながら同土地の権利関係を調査することもなく、これをいとも簡単に買い取っているなどの事実に照らせば、本件売買契約(一)ないし(三)締結当時、一郎は、国鉄が本件土地(一)及び(二)の所有権を取得したことについて悪意であったか、少なくとも国鉄の所有権取得の可能性を敢えて容認していたことが認められる。加えて、前記認定のような現況にある本件土地(一)及び(二)を高額な代金を支払って取得するのに同土地につきほとんど調査することもなく売買契約締結に至ったなど、本件売買契約(一)ないし(三)に見られる不自然な締結経過、春夫及び被告甲野が一郎に本件土地(一)及び(二)を売却した目的は、国鉄との問題を解決してもらうことにあり、一郎もこれを了解して同土地を購入したこと、一郎が本件土地(一)及び(二)を購入したのは、購入代金よりも高額な代金でこれを国鉄に買い取ってもらう目的もあったこと、現に一郎は本件売買契約(一)ないし(三)を締結するや直ちに丙野五郎に国鉄との交渉を委任していること、しかして、受任者丙野五郎は本件土地(一)及び(二)の代替地として東京都内の一等地を強く要求したことなどの諸点に鑑みると、一郎は、国鉄に本件土地(一)及び(二)について登記が未了であることを奇貨として、不当な利益を得るために、本件売買契約(一)ないし(三)を締結したもので、右契約の締結は社会的に相当な取引活動を逸脱したものというべきであり、一郎は、いわゆる背信的悪意者として、国鉄の本件土地(一)及び(二)の所有権取得につき登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有する第三者とはいえないといわざるを得ない。
第四 結論
よって、原告事業団の第一次的請求を棄却して第二次的請求を認容し、原告会社の所有権確認請求及び条件付所有権移転仮登記の抹消登記手続請求を認容し、原告会社の所有権移転登記手続請求については、第一次的請求を棄却して、第二次的請求を認容する。
(裁判長裁判官 園田秀樹 裁判官 左近司映子)
裁判官 高橋光雄は、転補につき、署名捺印することができない。
(裁判長裁判官 園田秀樹)